先月末から今月上旬までほとんど自宅に留まることなく、北へ南へと飛び回っていました。
多忙な10月を何とか乗り切ってスケジュールが空いたのは月末のみ。廃線まで残り半年となった
札沼線末端区間の記録をと沿線へ。

上り石狩当別行きの列車が線路の向こうからやって来ました。町内の学校へ通う学生さんたちが乗り込みます。といってもこの駅から乗るのは二人だけ。始発の浦臼駅からも数名しか乗っていなく、廃線やむなしなのは目に見えておりました。

モミジの葉が赤く染まった浦臼神社。前回の秋もこの時期に来ていたのでここが撮影ポイントになるのは分かっておりました。多くのカメラマンたちが陣取っている中、すき間を縫うようにベストアングルを構えて難なく絵にしました。

道内滞在最終日の夕方になってようやく太陽が顔を出してくれました。冬のラストは来られるかまだ分からなく、ひょっとしたらこの撮影遠征が
札沼線最後のカットになるかもしれない。そんなことを頭がよぎって無性に胸が熱くなってしまいました。

ところ変わって四国へ。11月初旬の三連休を使って息子と親子汽車旅。前日早朝私一人早く出発して、途中いくつか撮影しながら西方へ。学校を終えた息子は一人新幹線に乗って新横浜から京都へ、そして特急「スーパーはくと」に乗り換えて無事神戸駅で合流。翌日は和田岬線103系を撮りつつ岡山へ移動して、そして
土讃線へ。多度津駅から観光特急「
四国千年ものがたり号」に乗車しました。

大歩危駅で友人の車に乗せてもらい、折り返し列車を吉野川橋梁にて撮影。ここは車内で食材を提供している農家とその周辺の地元の皆さんが手や旗を振ってお見送り。地元に愛されている列車だとつくづく感じました。いつまでも続いて欲しい光景です。

今回の四国親子汽車旅のもう一つの目的は、クラウドファンディングによって京急塗装に戻された琴電1000型の撮影会。仏生山駅の車庫には赤く纏った懐かしい京急塗装に大興奮!方向幕も事務局がいろいろ用意してくれ、ファンにはたまらない企画。いっそのこと、左に停泊している700型も京急塗装に戻しませんか(笑)?

琴電琴平駅から当該編成に乗車。乗っている分は普段の琴電となんら変わることはないけど、やはりドアの開閉で扉の外壁が赤いだけで無性に懐かしさを感じました。高校生の頃はこれで通学していたんですよね。終点の高松築港駅へ行ってしまうと折り返し時間が短くて走行写真が撮れなくなるので一つ手前の片原町駅で降りて回送列車を狙いました。普段は2両編成だけどやはり4両編成は画面の収まりが良いですね。

四国から戻って翌日には修学旅行撮影で九州へ。初日は阿蘇熊本を巡って島原を経由して長崎へ。ここで判別自主研修が始まるので私にとってもフリータイムが生まれることに(笑)。ホテルを早めに出てまずは長崎駅周辺で生徒が行きそうな場所を張り、めがね橋や中華街など歩いては生徒を見つけ撮るというスタイル。でもこれが出来るのは最初だけ。ある程度生徒が見つけられなくなると今度は電車探し。ちょうど良く水戸岡デザインの「みなと号」がやって来てくれました!

数時間だけレンタカーを借りて
大村線へ。撮る列車は限られるけどネットで調べた撮影地を上手く回って一本でも多く撮れたら万々歳。すると大村湾を俯瞰できる展望台があるというので行ってみました。手前の木々が少し鬱陶しかったけどとても見晴らしが良くて良いポイント。なんとそこへやって来たのは国鉄急行色を纏ったキハ66。やはりこの塗装はどんな光景にも映えますね。

一旦ホテルへ戻って夕食をとった後は食後の運動で長崎駅前へ散歩へ。実は長崎駅は新幹線工事に伴って近日中に高架駅化されることになり、この旧ホームは見納めになるそうです。大したカットは残せなかったけど、ちょっとした記録は出来ました。令和の時代にまで残っていた国鉄の駅の雰囲気も消えていってしまいます。日々の記録がいかに大切か、改めて感じました。